港町は魚がおいしくてすばらしいですね。本家があるのがちょうどその辺りで、先日の親戚同士の集まりでは、おいしいお刺身とお寿司をいただきました。特にお刺身。ほくほくしながら食べていると、「おばちゃん、それ美味しい?」と、小さな子に聞かれました。どうやら生魚が苦手なようです。その子のお母さん曰く、体質的な問題等ではなく、単なる好き嫌いとのこと。
「うん、おいしいよー」と出来るだけ笑顔で言ったところ、自分の席に戻ってマグロにチャレンジしていました。その後ひと切れも食べなかったようなので、却って苦手意識を強めてしまったかもしれないと思うと、心がざわめきます。
親戚同士の集まりというのは、おいしいものが食べられる反面、普段は会わない人たちとコミュニケーションをとれる貴重な機会でもありますね。正直面倒くさいと思う一方、案外楽しかったりして、散会後にお祭の後のような寂しさを覚えることがあります。何やかんやで血が繋がっていたり、同じ名字を冠する者同士、和やかにやっていきたいものです。
そうそう、その日はうれしいこともありました。ものすごく小さなことなのですが。小さな子たちにとって私は「おばちゃん」でも、遥かに年上の人たちにとっては「○○ちゃん」だったり「○○さん家のお姉ちゃん」だったのがうれしかったです(笑)。背伸びして、絵本でなく小説を読んで的外れな読み仮名を振ってた話は忘れて欲しいかも……。
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親類同士の集まりで
電車に乗るのが好きです
電車などに乗っている時の、あの「揺れ」がとても好きです。幸いなことにあまり乗り物酔いする体質ではないので、流れゆく車窓を見ながら、あるいは音楽を聴きながら、のんびりと揺られています。さすがに本を読むと酔います。発売されるのを心待ちにしていた小説を、家に帰るまで待ちきれずに一気読みした時などは悲惨な目に遭いました。吐き気と戦いながら読むものではありませんね。せっかくの楽しみを、早く読みたいと焦るあまり台無しにしてしまいました。
それはともかくとして、疲れているときなどはあまりの心地よさに眠くなりますね。暑い日はほどよく冷房がきいていて、そして寒い日はほどよくあたたかくて。そしてゆりかごに揺られているかのような感覚が延々と……。うっかり寝こけてしまい、目的地を通り過ぎかけたり、実際に通り過ぎてしまったことは数知れず。コミックなどによくあるように、終点まで乗ってしまった、ということは今のところないのですが。友人曰く、「いつかやらかしそうで怖い」そうです。失礼な。
思い返せば子供の頃、今はもう廃線になってしまったローカル鉄道に乗るのが好きで、母に何度もたしなめられていたにも関わらず、座席に登って車窓を眺めたり、第一車両を目指して走っていったりしたものでした。いわゆる「乗り鉄」の気があるのかもしれません。
昔使っていた教科書
学生時代に使っていた教科書を捨てようとしたところ、学芸員をしている知人から思い留まるよう説得されました。何でも教科書というものは数十年も経つとそれなりの価値が出るそうで、是非取っておけと。それを聞いた小市民の私はとりあえず物入れにしまって取っておくことにしましたが、そのようなこともあるのですね。少し意外です。
せっかくだったので、しまう前に表紙を除菌用アルコールで拭くことにしました。すると、小説を整理する時にも似た感慨が湧きました。普段は忘れていても、手に取れば蘇る思い出の数々……。人間の記憶というのはけして忘れられることはなく、思い出せないのはただアウトプットに必要なプロセスが多くなっているだけ、という説がありますね。これもそういうことなんでしょうか。
私にとって学校というのはけして楽しいだけの場所ではなかったので、思い出したくないことも思い出してしまいました。もういっそのこと市営のゴミ処理場まで持って行ってひと思いにお別れしてしまおうか、とも思ったのですが、そういう時に限って蘇ってくるのは、楽しかったことなんですよね。今でも付き合いが続いている友人や、所持し続けている小説と出会ったのもこの頃でした。愛憎相半ばす、という気持ちが分かったような気がしました。
寝つけない夜には
寝苦しくてなかなか眠れない夜などは、思い切って起きてしまうようにしています。悩みごとがある時などは特に寝付けずに延々と輾転反側してしまうので、いっそのこと、と思い切るようにしています。そして現実逃避気味に小説を読んだり映画のDVDを観たりしていると、気分が切り替わって身体が「眠る」モードになるんです。個人的にはこれがとても大きな発見でした。
もともと私は、神経質で何かと気にしがちな気質です。ですので、頭の中で愚にもつかない思考をこねくり回しているよりもよほど精神的によかったのかもしれません。なるだけ気分が明るくなりそうなもの、楽しくなりそうなものを選んで、読んだり観たりしています。
先日、それで楽しかったのがいわゆるB級映画でした。少々暴力的ではありましたが、そのチープさ、くだらなさが真夜中のテンションと相まって非常に魅力的に映り、1人で大爆笑してしまいました。
翌日の午後、改めて観てみると「どうしてこれで笑えたんだろう……?」と首をかしげてしまったのですが。真夜中というのは不思議な時間帯ですね。今日であって明日であり、休息を取るべき時間帯でありながらあえて起きていると精神が高揚して。とりあえず、絶対に寝ないと!という強迫観念からは解放されて、少しずつ寝付きが良くなってきているような気がしています。
百年の恋も冷める?作家の失言
こういうこともあるのだなあと幻滅半分、教訓半分という気持ちになったことがあります。今から○○年前、私はとある小説にハマりました。軍記物で、とても面白かったです。それから時が経ち、その作家さんが新しい小説を書くことになりました。発売前からそれはそれは楽しみにして、予約の開始をずっと待っていました。そしてその作品をついに手に入れて読みふけった日の幸福感といったら……。その輝きは昔とちっとも変わっていないように思えました。その時は。
その後、ファンの人たちが集まるコミュニティで、とある疑惑が提示されました。それは物語の根幹に関わるエピソードの、いわゆる「パクリ」疑惑。まさかね、と思いつつ、比較対象として挙げられた小説を読んだところ、個人的には(あくまで、個人的にはですよ)看過できないレベルで似ていました。まあ結局、確たる証拠もなく、疑惑のままで終わったのですが。
しかし何となくモヤモヤしていたところに投げ落とされたのが、その作家のSNSでの発言という爆弾でした。それは私がかつて愛した小説に関するもので、しかもその小説を貶めるものと言いますか、何と言いますか……。一度世に出したものに関して、書いた本人なら何を言ってもかまわない、というわけではないと思うのですがね。あんまり思い入れすぎても辛いものがある、ということを学びました。
ヘビロテしていたい曲
久々に延々とヘビーローテーションしていたい曲に出会いました。それがデビュー曲だという女性歌手の声は、本当に美しかったです。透明感があって、力強くて……。歌詞も素敵でした。恋愛系ではなく、一昔前に流行ったようなダウナー系でした。曲調が暗かったらきっとどんどん落ち込んでいってしまいそうなくらい、ダークで「鬱」で、カミングアウトを含めた私小説のような歌詞でしたが、ストリングスを多用したクラシカルな曲調と、彼女の美しい歌声と組み合わさると、聞いていてとても心地が良いのです。
その曲がカラオケ配信されたというので、先日、1人で行ってきました。飽きるまでそれを歌い続けるだろうことが予想できたので、人を付き合わせるのはちょっと申し訳ないな……というのがありまして。
カラオケだと、やっぱり原曲とは違いますね。採点機能などを付けて音程バーを出すようにすると、あれ、此処この音だっけ?というところが幾つかあって。歌手本人の多重コーラスとメインボーカルが溶け合わさるようなところだと余計ですね。ともあれ、その時ハマっている曲を誰の目も気にせず自分に酔って(笑)歌うのはとても気持ちが良いです。
後日、その歌手のコンサートが開催されるという発表があり、さっそく抽選に申しこみました。当落発表はまだなのですが、当たっているとうれしいですね。
母の友人と
数年前の初夏のことです。たまには歩こうと徒歩で書店に向かっている途中、前方からどこかで見たような顔の女性が歩いてくるのが見えました。「全く知らないという人ではないはず、でもどこで会ったんだろう……?」と脳内を検索すること数秒、何とか彼女とすれ違う前に思い出すことが出来ました。
彼女は、母の古い友人でした。昔から私をかわいがってくれて、我が家にもよく遊びに来ていたんです。「あの、もしかして」と声を掛けると、彼女は不審そうな顔をしていました。その日の私はすっぴんに日焼止めを塗っただけ(散歩ついでに小説を買いに行くだけだから良いかなと思って……)、そしてその頃流行り始めていたとある伝染性の病気予防でマスクをしていましたから、無理もないことだと思います。
マスクを外すとやっと私だと分かってもらえたようで、その口元がほっとほころびました。とても懐かしい気持ちになりました。優しい笑顔は昔のままでした。2、3立ち話をさせてもらうと、母とは今でも電話で連絡を取っているものの、彼女の方の家庭の事情でなかなか遊びに行けなくなっているとのことでした。
帰宅後、母にこの話をすると、どこかうれしそうにしていました。「多分、もうそろそろ会えるわよ」。私もその日が楽しみです。
歯医者さんのトラウマ
少し年上の友人とお茶をしていた時のことです。いつものように最近読んだ小説のことなどを話しているうち、最近歯医者に掛かり始めたという話を聞きました。何でも、今までは怖くてなかなか定期検診にも掛かれなかったそうです。気持ちはよく分かります。私も子供の頃の治療風景が若干トラウマになっています。ちょっと大げさですが。
昔から私は疳の虫が強い子供で、些細なことですぐワーワーギャーギャー泣いていたんですね。初めて虫歯が出来てしまった時もそうでした。検診で発見されたそれを治療することになったのですが、待合室で待機している間に、治療用のドリルなどが「チュイーン」と甲高い音を立てているのをずっと聴いているわけです。それだけでも怖くてたまらなかったのに、その器具を口の中に突っこまれるとなったらもう、大泣きです。
そしてどうなったかというと、拘束用のテープの付いた網のようなものでぐるぐる巻きにされて、それはもうこの世の終わりかと言うくらいギャン泣きしながら(母談)治療されるという体験をしました。当時の歯科医さんも、助手さんも、大変だったと思います。お世話になりました。
その話をその友人にすると笑われてしまいました。確かに今のところ、私の周囲では私以外にそんな体験をした人はおりません。今はそういう子供に対してどんな対応をしているのか、少し興味があります。
借りっぱなしだったテキスト
家族に借りっぱなしだった本がたくさん出てきました。彼が大学に行っていた頃、授業で指定されて使っていたものがほとんどだったと思います。書き込みや付箋がたくさんありました。確かもう捨ててしまうというので、その前に1度貸してくれ、とお願いして借りたのだったと思います。忘れてました、正直。
主に古代ギリシアの、哲学や悲劇に関するものが多いようでした。オイディプスなんて小説を読む人間なら押さえておいた方が良さそうなものです。何でこれを放置していたのでしょう……。改めて読んでみると、哲学関連は思いきり眠くなりましたが、それ以外の、演劇に関するものはとても面白かったです。ただ、人名がなかなか覚えられませんでした。メインを張っているような、私などでも1度は聴いたことがあるような名前ならともかく、それ以外はもう全部同じに見えてきてしまって。~ウス、~オス、~セス、などなど。
冒頭の人名表を左見右見、読書に励んでいるさなか、件の家族がちょうど帰ってきました。私の持っている本に目を留め、「あ~、それ」と。「ごめん、借りっぱなしで」「いや、忘れてたから良い。そのまま置いといて。あげる」そんなやりとりが交わされました。元々捨てる予定のものだったとはいえ、ラッキーなような、申し訳ないような。ともあれ書棚が充実してうれしいです。
ご近所の奥様方の話
近所の人のお家にお呼ばれして、色んな人のお話を聞く機会を得ました。自分とは全く違う人生を歩んできた人たちの話って、とても面白いですよね。少々野次馬根性が入っているかもしれませんが、まるでドラマか小説に接しているかのような気持ちで楽しんでしまうことがあります。その話がポジティブなものだとなおさら。
小説を読むのが趣味のせいか、私は普段からどうにも行動範囲が狭くなりがちです。スーパー、書店、図書館、近隣の友人と会う際に使うファミレスやカフェ……普段赴く場所は大体そんなところです。しかし。当然のことながらほかの人がそうだとは限りませんよね。その日は旦那様について海外で暮らしていたという人の話や、我が家の地方からかなり遠いところから嫁いできたという人の楽しい話をたくさん聞くことが出来ました。
本当に、人生というのは色々ですね。色とりどりの万華鏡のようでした。そしてどんな光にも影があって、考えさせられました。そうこうしているうちにあっという間に時間が経ってしまい、夕食の準備のためにもお開きとなりました。お茶もお菓子もとても美味しかったです。私自身の話は特に何の変哲もなくて、せいぜい近況報告くらいしか出来なかったのですが。良いご近所さんに恵まれたなあ、と思います。