先日の仕事帰りのことです。週末の少し遅い時間だったから通勤の人は少なく、電車は空いていました。余裕で座ることができて、小説の続きも読めました。そのときに、私の隣には20代前半くらいのなかなかオシャレな男子が二人座っていました。二人ともすごくリラックスムードだったから、仕事や学校帰りではないみたいでした。それに、一人の男子は顔が赤かったから、お酒も入っているようでした。私は小説を読みながら、視線は手元のページに向けているけど、耳は二人の会話にしっかり向いてしまっていました。車でどこどこまで行ったけど……とその時の様子を説明していたり、帰ってからのことを話していたりと、特別に変わった話ではなく、日常の話題なんだけど、テンポのいい会話は聞いていても気持ちがイイものです。ところどころに笑いのポイントもあったりして。思わず、途中でチラッと隣りに顔を向けてしまったほどです。けど、そのときに、意外にも一人の男子の手には文庫本が握られているのが見えたんです。「どうして?」と不思議な感じでした。不思議というのも失礼かもしれませんけど、私は無意識に彼らが本なんて読まなさそうだと思い込んでいたんです。カバンに入れてるとかじゃなくて、そのまま手に持ってるところが気になった点でもあるんですけどね。だって、明らかに何かの飲み会の帰りだと思えるんですもの。勝手に色々想像してしまいました。待ち合わせまでに時間があって、書店に立ち寄ったところ、探してた本が見つかってしまって、つい買ったのかな、とか。あれこれ物語のように考えてるなんて、私の空想癖もたいしたもんだって可笑しくなりました。
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『いただきます』の意味
先日、友人とのランチでイタリアンレストランに行きました。その時「いただきまーす」と言った私たちの声が重なりました。そしたら、彼女がこんなことを言ったんです。「いただきますって言葉の本来の意味って知ってる?」って。本来の意味? いつも何気に言ってる言葉だけど、意味なんて深く考えたことがありません。でも、料理を作ってくれた人への感謝の気持ちなんじゃないかな。そう答えたら、「それもひとつだけど、本当は、肉や魚や野菜の命をいただきます、なんだって」と言うんです。私たち人間の命に変えるから、それを感謝しての言葉なんだそうです。命の問題となるとなんだかちょっと重いお話です。私は料理を作ってくれた人への気持ちの方がしっくりくるなぁって思っていました。
友人とそんな話をしてから、数日後、小説にもよく似た内容が出てきたからビックリしました。料理人のご主人がお客さんに料理の説明をする場面があったんだけど、最後に出した豆腐の汁椀を、お客さんは豆腐以外の複雑な香りがするって言ったんです。それは、『鮎ずし』にした鮎の骨をサッと炙って出汁にしたからだというのが料理人の答えでした。そして、「鮎は年魚と言って短い命だから食べ尽くして成仏させてあげないと可哀想なんです」とご主人は話しました。その一節が私に友人との会話を思い出させました。そして、やっぱり命をいただくことへの感謝の気持ちが大事なんだって、不思議と思えてきたんです。これからは心を込めて言います。「いただきます」って。