この世の果てまで、小説を持って。 私の心をどんな色にも染めてくれる小説。どんな世界でも見せてくれます。

Monthly Archives: 12月 2018

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言葉って本当は難しい

何気に使っている言葉だけど、実は間違って使っていた、なんてことがたまにあります。本で読んだりテレビで見たりして、「そうだったのか」なんて思うことがあるんです。それこそ、子供のときのことを思い出すと、数えきれないくらいあるから笑えます。今でもよく覚えているのが『手をたたきましょう』という童謡。最後に『ああ、おもしろい』という歌詞があるんだけど、何を思ったのか、私はかなり長い間、『ああおも白い』と理解していたんです。何かわからないけど、『ああおも』というものが『白いんだ』と。他にも童謡の中で驚いたのは、『アルプス一万尺』です。これが『子ヤギの上で』とよく間違われることは知っていたんです。本当は『小槍(こやり)』だって。けど、外国の歌だと思っていたんです。これはごく最近までそうでした。けど、このアルプスって日本アルプスだったんですよね。そして、『小槍』というのは『槍ヶ岳』の山頂付近にある岩のことを指しているんですって。驚きました。
そしたら先日、『もし』と『もしも』を混同して使っている人が多いという記事を見かけたんです。これは、何となく違うような違わないような……といった感じでした。今までは明確な使い分けをしてはいませんでした。でも、その記事によると、『もしも』は『もし』を強調する形で、さらに起こってはいけないことや悪いことを想定するときに使う言葉なんだそうです。そして『万が一』という意味も含まれるんだとか。そういえば『もしもの時には』って言ったら、いい意味ではないですものね。言葉を正しく使うことは実は難しいんです。

時には『待つ』ことの大事さ

人は『攻め』の人と『待ち』の人に分かれると思います。そして、私はといえば『攻め』の人です。仕事でもプライベートでも待つだけで自分が動けない時には、何かできることはないかとイライラしてしまいます。気は短くはないからもちろん待ちますけど、何もしないでジッとしているのが苦痛なんです。でも、自ら攻めて行く方が早く結果に繋がると思っていましたしね。でも、そうじゃないんだって思える記事を先日読んだんです。その記事にはスポーツ選手のスランプを取り上げていて、どれだけ頑張ってみても、結果が出なくて行き詰まりを感じることがあるものだと書いてありました。そんなときには、焦らずに力を蓄えるときだと思うべきなんだそうです。行き詰まりは栄光を勝ち取るための準備期間だと考えればいいんだって。いつも『攻め』の姿勢ばかりでなく、時には『待ち』の姿勢を構えることを学ばなければならないと書かれていました。そして、時間が最良の薬となって、やがて本領を発揮できる時期が訪れると。
それを読んで気づいたんです。今まで攻めることが最善の方法だと思ってきたけど、それは間違いだったんだって。時には、ジッと耐えて待つことも大事なんだとわかったんです。焦りは禁物。自然の法則に任せることも必要なんですね。ちょっと成長できた気がします。