この世の果てまで、小説を持って。 私の心をどんな色にも染めてくれる小説。どんな世界でも見せてくれます。

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心地よい接客

今までに接客で気を付けることや人とのコミュニケーションで大事なことについて、本を読んできました。そのたびに、納得できることばかりで、自分を見つめ直していたんです。だから、頭ではけっこう理解しています。でも、なかなかできていないところもあります。だから、職場の人ですごく褒め上手な人がいるんだけど、いつも見習いたいなって思っています。
人は聞き上手にならないといけないと思うんです。人間は自分の話すことに耳を傾けてくれる人、自分の意見に同意してくれる人、そして、褒めてくれる人に好意を持つものです。それがわかっていても、そのタイミングって意外と難しいと思います。その時にスッと口に出せなくて、あとで、「ああ言えば良かった」「こう言えば良かった」なんて後悔することがあります。今、読んでる小説の主人公の女性の接客が本当に素晴らしいんです。お客さんに話を伺っているときに褒めるタイミングや気持ち良く話せる質問など、感心するばかりです。小説なのに、まるで自己啓発本やビジネス書を読んでるような気持になります。これって、ほんとうに質問力だなって思いますしね。彼女の会話は、自分の気持ちや感想を織り交ぜてるんだけど、その中に褒め言葉が入っていることがほとんどだから、相手も気持ちよく話し続けられます。それも、取って付けたような褒め方じゃないんですもの。この小説、かなり勉強になります。シリーズで続くから、全部読破したいです。

相性って何でも大事

人でも仕事でも、何にでも相性ってありますよね。良ければ上手く行くし、良くなければ上手く行かないものです。長く付き合いのある仲の良い友人や恋人、夫婦など、仕事でもしんどい時もあるけど、楽しい、やりがいを感じるというものは、やっぱり相性がいいんだと思います。
でも、先日読んでいた小説の中では登場人物が、『料理は、料理人と食べる側の相性』って話していたんです。そんなこと、初めて聞きました。でも、考えてみたら、なんとなくイメージが湧きます。味覚って人それぞれだから、ある人には美味しくても、別の人には苦手なこともあります。料理人は丹精込めて、食材や味付け、器にこだわって作っていると思うけど、食べる側はみんながみんなその価値が分かるとは限りません。作り手の思いを受け取ることができる感性が必要になりますよね、きっと。今まで、どこかで美味しいものを頂くときに、相性なんて考えたこともなかったし、そもそも、関係があるなんて思いもしなかったから、その小説を読んでからは、少し意識が変わりました。今度からは、ご馳走を前にしたら、きっとその小説を思い出すと思います。そして、自分がそれを作ってくださった方と相性がいいのかどうか、なんて考えると思います。そういうのも、なんだか楽しいですよね。

揉める時もあるんです

様々な文学賞があるけど、発表のたびに興味津々です。すでに発刊されている本の中からの有名な賞もあれば、新人を対象にした発刊が特典だというものもあります。以前、自分が芸能人だということを伏せて応募して見事に受賞した人がいましたよね。
先日、文学賞の選考委員をしている作家さんのお話を読んだんですけど、それによると、その役割もなかなか大変そうでした。そりゃ責任もありますしね。でも、やっぱりいつもスムーズに決まるわけではないみたいです。揉めることもあるんですって。小説はその人の読み方があるから、孤独の○もあれば、孤独の×もあるんですって。そんなときには、責任をもってその理由を論理的に説明できなければならないんですって。きっと、熱い選考が行われるんだと思います。だって、どれも素晴らしい作品で甲乙つけがたいというのが本音でしょうしね。もちろん、即座に全員一致で、ということもあるとは思いますけど。けど、どんな時にも、最終的には全員が納得しての結果にはなるんだと思います。でも、人によって小説の読み方が違うとなれば、選考委員の顔ぶれによって選ばれる作品が異なるということになりますよね。だから、賞によってカラーが違うということなんですね。誰が選んだかという観点から見ていくと、また面白いかもしれません。

パンにはレーズン

ドライフルーツは体にとてもいいと聞きます。ダイエットをしているときにも、おやつに少し食べると、ビタミンやミネラルなどの補給にもなるし、甘いお菓子を食べるよりずっといいという記事を読んだこともあります。一口にドライフルーツと言っても色々ありますよね。レーズン、プルーン、あんず、マンゴー、パイナップル、いちじく、トマト(フルーツじゃないけど)。なかでも、一番はやっぱりダントツで手軽な感じのレーズンです。何かと活用できますしね。私にとってもやっぱり一番身近です。子供の頃なんて、袋を抱えてどんどん食べていって、母に叱られたことがあります。食べ過ぎだって。でも、意外にも、レーズンが嫌いだっていう人も多いですよね。私の周りにもいます。食べられないだけでなく、パンの中に入ってるなんて許せないんだそうです。
先日、読んだ小説の主人公もそんな人でした。パン教室から帰ってきた母親の手提げ袋を大喜びで奪い取って、中を見て愕然とする場面。「なんで、こんなもの入ってるのよ! 嫌いなの知ってるでしょ」と怒る主人公。パン教室なんだから、決まったレシピで作ってるのに仕方ないでしょ、とツッコミたくなります。それにしても、嫌いだなんて可哀想。私なんて口に運ぶ手を止めるのに苦労するというのに。そんな話をするだけで、口の中にレーズンの甘酸っぱい味が広がるような気がしてきます。あー、レーズンパン、食べたくなってきました。

その一言は痛い

先日、あるメンタルコーチの方が書かれた記事を読みました。それは、片付けに関するものです。今までにも何度も雑誌や本で、片付けは人生にとてもいい影響を与えるという内容の記事を読んできました。その都度、納得していました。実際に時々まとめて片づけるとすっきりします。けど、そこに至るまでにかなり時間がかかることもあります。気にはなってるけど、そんな時間がないというとき。先日、ちょうどそんな風に思っていたところだったから、その記事を読んで「やられたな」という気持ちになりました。なぜって、そこには片づけ苦手が人には3つのパターンがあると書いてあったんですけど、一つ目のパターンが『時間がない型』と書いてあったんです。そして、『時間がない』ことを理由にする人は、仮に時間に余裕ができても、捨てたり片づけたりしないことが多いと書いてありました。ちょっと痛いところを突かれました。いやぁ、いつもそれを理由にしているわけじゃないから、すると時にはするから、と言い訳をするような気持になっている自分が少し恥ずかしくなりました。要するに何を優先するかということだけなんですって。たとえ、忙しくても捨てることができることは、人生の大事な課題や問題に向き合うきっかけになったりもするんだそうです。時間は一日24時間、誰にとっても平等なんです。

駅弁は魅力的

デパートやスーパーで時々開催されている駅弁のイベントは、いつだって大人気です。オープンと同時に多くの人が流れ込んでいるのか、ちょっとゆっくり午後から覗いた日には、人気商品はいつも売り切れています。仕事帰りになんかもう全く残っていません。雑誌にも全国の駅弁の特集が掲載されていることがありますよね。写真を見ていたら、絶対に食べたくなります。だから、「今度旅行に行くときにはそれを食べよう」って思うんですよね。もちろん、雑誌に載せてるのは、それが狙いなんでしょうけどね。でも、そもそも、電車に乗って遠くまで行くときには、特急の中で食べる駅弁が楽しみですもの。大人になったって、やっぱりワクワクします。だから、いつも人気だし、イベントだって大盛況なんですよね。この前見かけた雑誌では、順位というか格付けされていました。今まで行ったことがない地方のものには憧れに似た気持ちを持ってしまいます。いつかそっちに行くことがあれば、買って食べてみたいって思います。でも、なかなか実現しそうにないです。だからなんですね! みんながイベントに押しかけるのは! なかなか行くことができないから、せめてそれを家で味わってみたいという気持ちですね。理解できました。これは早起きして出かけるしかないですね。

天使と悪魔

人間ならたぶん誰でも、心の中に天使と悪魔が住んでいると思います。もちろん、ほとんどの人は天使の声の方を選んで行動しているとは思いますけどね。でも、私だって、正直なところ、今までに一度だって意地悪な気持ちになったことがない、なんて言えません。つい意地悪心が生まれてしまったことだってあると思うんです。そして、たいがいは奥深いところに沈めておくんだけど、時には言葉にしてしまったこともあると思います。そんな言葉を言ってしまった後には必ず、自分も嫌な気分になってそのことを後悔するんです。
今読んでる小説にも、主人公の心の声の描写には、そんな葛藤が何度も出てきます。自分とは考え方や意見の違う人間に対して、彼らのその行為があまりに愚かだと思い、ムクムクと湧いてくる意地悪な気持ちをそのまま差し出したくなるって書いてあるんです。その衝動わかります。主人公もそんな衝動を何度も抑えるんだけど、過去に抑えきれなくなったとの記述があります。でも、それについてはまだ謎です。だから、この先を読み進めていけばきっと、何か事件が起きそうです。彼が爆発してしまいそうな気がします。けど、本当に繊細な心理描写が見事で、普通なら誰もが表に出したくない、誰かに知られたくない奥深いところにあるものを書いていて、思わず自分自身を見透かされているような気持になってしまうんです。けど、私の中にいる悪魔は封じ込めておきたいものです。

インターホンが鳴ったら

休みの日にのんびりと読書をしているときに電話がかかってきたり、インターホンが鳴ったりすると、一旦本を置くことになるから腰を上げるのが億劫です。それが興味のない営業や宗教の勧誘だったりすると、「やれやれ」といった感じです。
先日もインターホンが鳴ったから出てみたら、「今日は聖書の……」と話し始めたから布教だったようです。興味がないのでと断ったんだけど、そもそもあんな風に一軒ずつ家を回っての布教って、今の時代に即してるのかなって思うけど、成果があるからやってるんですよね、きっと。
そういえば、ずいぶん前にホテルの部屋に聖書が置いてあるのを見かけたことがあります。最近は見ないけど。いや、私が気にしていないだけなのかもしれませんけど。でも、それは、悩みがある人の助けになればという意味で置いてあったんですよね。それを読んで救われたという人もいるんだと思います。聖書の中の言葉には心に響くものが沢山ありますし、内容は素晴らしいものですもの。私は家の近所のカトリックの幼稚園に通っていたから、その時にはマリア様の絵本を読んでいました。それが本を好きになるきっかけになったことは間違いありません。けど、生きて行くうえで自分の気持ちの拠りどころをどこに持つかは人それぞれです。今の私にはっきり言えることは、休みの日にはゆっくりと読書に集中させてほしいなってことなんです。

言葉って本当は難しい

何気に使っている言葉だけど、実は間違って使っていた、なんてことがたまにあります。本で読んだりテレビで見たりして、「そうだったのか」なんて思うことがあるんです。それこそ、子供のときのことを思い出すと、数えきれないくらいあるから笑えます。今でもよく覚えているのが『手をたたきましょう』という童謡。最後に『ああ、おもしろい』という歌詞があるんだけど、何を思ったのか、私はかなり長い間、『ああおも白い』と理解していたんです。何かわからないけど、『ああおも』というものが『白いんだ』と。他にも童謡の中で驚いたのは、『アルプス一万尺』です。これが『子ヤギの上で』とよく間違われることは知っていたんです。本当は『小槍(こやり)』だって。けど、外国の歌だと思っていたんです。これはごく最近までそうでした。けど、このアルプスって日本アルプスだったんですよね。そして、『小槍』というのは『槍ヶ岳』の山頂付近にある岩のことを指しているんですって。驚きました。
そしたら先日、『もし』と『もしも』を混同して使っている人が多いという記事を見かけたんです。これは、何となく違うような違わないような……といった感じでした。今までは明確な使い分けをしてはいませんでした。でも、その記事によると、『もしも』は『もし』を強調する形で、さらに起こってはいけないことや悪いことを想定するときに使う言葉なんだそうです。そして『万が一』という意味も含まれるんだとか。そういえば『もしもの時には』って言ったら、いい意味ではないですものね。言葉を正しく使うことは実は難しいんです。

時には『待つ』ことの大事さ

人は『攻め』の人と『待ち』の人に分かれると思います。そして、私はといえば『攻め』の人です。仕事でもプライベートでも待つだけで自分が動けない時には、何かできることはないかとイライラしてしまいます。気は短くはないからもちろん待ちますけど、何もしないでジッとしているのが苦痛なんです。でも、自ら攻めて行く方が早く結果に繋がると思っていましたしね。でも、そうじゃないんだって思える記事を先日読んだんです。その記事にはスポーツ選手のスランプを取り上げていて、どれだけ頑張ってみても、結果が出なくて行き詰まりを感じることがあるものだと書いてありました。そんなときには、焦らずに力を蓄えるときだと思うべきなんだそうです。行き詰まりは栄光を勝ち取るための準備期間だと考えればいいんだって。いつも『攻め』の姿勢ばかりでなく、時には『待ち』の姿勢を構えることを学ばなければならないと書かれていました。そして、時間が最良の薬となって、やがて本領を発揮できる時期が訪れると。
それを読んで気づいたんです。今まで攻めることが最善の方法だと思ってきたけど、それは間違いだったんだって。時には、ジッと耐えて待つことも大事なんだとわかったんです。焦りは禁物。自然の法則に任せることも必要なんですね。ちょっと成長できた気がします。