先日の通勤の時に立っていたら、ふと目の前に貼られていた広告に目が留まりました。本の広告なんだけど、発売4週間で4.8万部も売れたんだって。小説ではありません。仕事や生活の役に立つんじゃないかと思える内容のものです。『質問力』に関したものです。以前、円滑なコミュニケーションには質問力が重要だという記事を読んだことがあります。その広告の力が凄いなって思うのは、それを見た私はその本が読みたくて仕方なくなったということです。特に上手いなって感じるのが、見出しと結果が並べてあるところなんです。「え、どんな質問をしたんだろう」って興味を掻き立てるんですもの。黄色の背景に黒字で、目立たせたいところは赤のアンダーラインです。その手法もなかなかのものだなって感心しました。まんまとやられたなって自分を分析しながらも、いつその本を買いに行こうかとすでに考えていましたもの。でも、『質問力』って本当に必要だと思うんです。相手との距離を縮めるのにも、相手の心を開くのにも、必ず役に立つと思います。よく言われるのは「答えやすい質問をする」ということだけど、その人が答えながら、自分の考えを固めていくような流れを作るのが大事だとも聞いたこともあります。このところ忙しかったから、その広告を見かけてからすでに数日経ってしまいました。それでも気持は変わらないから、これはもう絶対書店に行かなくっちゃ!
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列を作って並ぶこと
以前、人間の心理と行動に関する記事で行列について言及されていました。並んで待つこと自体は嫌いな人が多いのに、行列にはなぜか惹かれてしまうと。それはワクワクしてしまうことで、テーマパークやスイーツ店やパン屋さん、ラーメン屋さんなどの他、限定物を手に入れる時などがあります。つまり何か魅力的なことや物を手に入れるために価値があることなんです。それとは逆にどっちかというと、イライラしてしまうこともあります。記事には銀行のATMやコンビニのレジ、飲食店などが挙げられていました。自分自身が急いでいるのに仕方なくという場合が多いでしょう。「時間がない」「時間がもったいない」と感じますよね。そのほかに私が思い浮かぶのは電車やバスを待つときです。そりゃ並ばないで済むのなら並びたくないですけど、みんなそれが当たり前になっています。だから、割り込みがあったりすると、トラブルになる場合があります。
先日、ちょっと驚きの経験をしたんです。その日、乗り換え駅のホームに立った私は何も考えずに普通に一つの列の後ろに並んだんです。でも、ふと気づいたんです。長い列と列の間にもう一つ停車位置のマークがあることに。けど、そこにはポカーンと空間ができていました。誰もいないんですもの。私はそこに移動しました。だって、ラッキーじゃないですか。私とほぼ同時にもう一人の女子高校生がそこに来ました。きっと、そこが空いていることに気づいていた人は他にもいたと思うんです。なのに誰もいないその場所に行くことを避けて、みんなが集まっている場所に留まっていたんだと思います。驚くべき人間の心理と行動を目撃した瞬間でした。
旅の景色は心に
最近、みんなどこでも写真を撮りますよね。カメラはもちろん、スマホでも。旅先での景色だけでなく、日々の食べたものや外でのきれいなお料理などの写真をブログやSNSにアップするのが目的の人も多いみたいです。私もたまにあまりにもキレイな盛り付けだったりしたら撮ります。けど、たいがいは忘れて先に食べてますけどね。「しまった。もう食べちゃった」なんてことがよくあります。ただ、やっぱり旅行に行った時には撮ります。記念に残しておきたいって思いますもの。けど、この前、ある本の紹介の記事を見かけて、その作家さんのお話しが載ってたんだけど、「そうだなぁ」って思えるものでした。その人は旅の本を書いてるんだけど、一切写真がないんです。旅についても、その場所を紹介するのではなく、自分がその場所で感じたことや思ったことを書いてあるんです。写真を撮らないのがポリシーらしいんです。すべては心に刻んで、自分の中に残すというんです。そして、人間は美しいものを見たら美しいを言わなければいけないと思いがちだけど、そんなことはないって書いてあるんだそうです。美しいからこそ何も言わずにただポカンと見ていていいんだと思うって。それって、すごく心に響きました。言葉にしないで、自分の中でただ感じていたっていいと思います。それはすごく価値があることなんじゃないかなって思えました。素晴らしい景色の中で自分の存在を感じてみたいって、今は強く思っています。今度、旅をするときにはそれを目的にしてみようかな。
魔法の言葉
魔法というのは子供だけじゃなくて大人にとっても魅力的な言葉ですよね。圧倒的に惹かれます。絶対にイイ事が待ってる気がしますもの。映画やアニメ、テーマパークにはよく出てくるけど、それ以外の日常生活でも活用できることに多く使われています。『片づけの魔法』だったり『メイクの魔法』だったり。雑誌でもこんなタイトルを見かけたらつい読んでしまいます。
先日、見かけた記事は『オシャレ費の浪費を防ぐ魔法の言葉』というものでした。もちろん読みました。それはついつい増えてしまうおしゃれに関する費用を抑えるために、買う前に自分に問いかける言葉なんです。「それを買ったらどんなイイ事があるの?」というものです。頭に浮かんだ回答にまた「じゃあ、それでどんなイイ事があるの?」と深く突き詰めていくと、本当に欲しいものは『その物』ではないということに気づくことが多いっていうんです。たとえば、本当に欲しいものは「友達におしゃれと認めてほしい」ということだった、などです。であれば、その洋服がなければ友達になれないのかというと、それは違うはずだと書かれていました。確かに!もちろん、欲しい物を全部諦めることではないと思うけど、少なくても浪費は防げるように思います。私はお店で見かけて欲しいなって思った時には、「買おうかどうしようか」と迷う気持ちがある時にはいったんお店を出ることにしています。そして、本当に必要なのかどうかを自分に問います。そうすると、案外買わなくてもいいかなって思うことが多いんです。けど、衝動買いをしてしまう時もあります。そんな時にはその記事どおり、これからは『魔法の言葉』が役に立ちそうです。
最近、無感動?
この前、車に乗っていてラジオから聞こえてきた内容にちょっと考えさせられました。パーソナリティの人が映画の話をしていて、その映画を観て涙が止まらなかったと言ってたんです。それを聞いて、そう言えば最近全然泣いてないなって。もちろん、悲しいことで泣きたいなんて思わないから、泣かなくても全然いいんですけど、泣くことが心のデトックスになるという記事をよく見かけますよね。ストレス解消になるって。けど、はっき言って、最近ストレスが溜まってるとも思わないんです。意外にも毎日快適だったりします。仕事で忙しいこともあるけど、それがストレスだとは思わないんです、今のところ。でも、ここからが問題かもしれないんですけど、考えてみたら、大声で笑うこともしてないかも。泣いてはいないし、笑ってもいないんです。あらためて、この事を考えたら少し問題なような気もします。だって、笑うことや泣くことは人間本来の姿だと思うし、健康にいいとも言われてるのに、どっちもしてないって……。絶対に泣ける小説や絶対に笑いが止まらなくなる小説なんていうものもあって、今までに読書好きな友人から貸してもらったこともあります。「このところ無感動になってるのか」と自問自答してしまいました。
久しぶりに、何か本を読んで思いっきり泣くか、思いっきり笑うか。どっちの本を読むかを今、悩んでいます。
近況報告はSNS
仲のいい友達でも、学生時代とは違って社会人になってからは、なかなか連絡が取れなかったりします。仕事に追われてたりしたら、アッと言う間に数か月も経ってしまってるなんてこともあります。そんな時は、何気に見たSNSのタイムラインで近況を知ったりすることがあります。先日も友人の一人の近況をLINEのタイムラインで知りました。彼は私と同じで読書が大好きで、文章を書くのも大好きな人です。ただ、私と大きく違うのは、その人はお笑いの世界にもいた人だってことです。最近は、自分のお仕事を頑張っているのは知っていたんだけど、なんとコンビを再結成してお笑いのライブをするらしいんです。前に会った時には読んだ本の話などをしていて、コンビ再結成なんてお話は全くなかったから、ビックリです。でも、なんだかワクワクしてとっても嬉しくなりました。また、がっつりそちらにというわけではないみたいだけど、それも並行してやって行くって感じみたいなんです。好きなこと、やりたいことができるのは、やっぱりイイですよね。応援したくなります。きっと、その日に向けてネタを考えてるんだろうな。今まで読んだ数々の本からも色んなことを溜めて来たと思うから、斬新なネタが出来上がるんじゃないかな。
私もそのライブに顔を出そう!生き生きと輝く彼に会えるのが楽しみです。
電車で見かけた高校生
仕事帰りの電車はなかなか座れません。運よく自分が立っている前の席の人が途中の駅で降りたら、ツイてるって座れるんですけどね。先日も乗ったときには席がいっぱいで案の定立つことになりました。まぁ、いつものことだからなんとも思わないで目の前の広告を見ていました。立っている間は揺れに耐えられないから読書は諦めています。図書カードの広告を何とはなしにずーっと眺めていました。乗った時からドアの近くに一人の男の子が立っているのは私の視界に入っていました。ジュースを飲みながらスマホを触っていて、別段変わったことのない普通の高校生。上下ブルーのジャージ姿で、運動部だということがわかるくらいでした。特に気にしてなかったんだけど、次にチラッと視線を送った瞬間に二度見してしまいました。さっきと違って文庫本を読んでいたんです。それも左手だけで本を持って。そのうえ時々、ジャージのポケットからスマホを取り出してメールかLINEを右手だけでササッと打ってるんです。男子高校生が活字を読んでる姿がすごく新鮮でした。それもバリバリ運動部の子が。ジャージをよく見たら、フットボールクラブって書いてありました。へぇ、フットボールかぁって。ただ、それがどんなスポーツだったかが思い浮かばなかったけど。さらに驚いたのは電車は結構揺れているのに、彼がまったく揺れないこと。澄ました顔で片手で本を読んでるんです。スポーツをしてるから体幹の鍛え方が違うんだなって感心しちゃいました。駅に着いたら本をスポーツバッグにサッと入れて、ジュースを飲みながら降りて行きました。また、普通の高校生に戻って。私はずーっと立ちっぱなしでツイてなかったんだけど、その新鮮な光景にこっちまで爽やかな気持ちになれて、逆に座れなかったことがツイてたって思えてしまいました。
極上の風景
家のいくつかの場所にカレンダーがあります。壁に掛けてあったり棚や机の上に置いてあったりします。たまにはすごく気に入って買うときもあるけど、ほとんどのカレンダーは年末に色んなところからやって来て、なんとなく日々見て一年を過ごしてしまいがちです。見慣れると、それが日常になって特に何も思わなくなってしまうんですものね。でも、時折、ピタッと目に留まってハッとしたりします。鮮やかなその写真に心を奪われてしまうんですよね。
もうずいぶん前だけど、ずっと玄関横に掛けてあったカレンダーがあまりに美しいことに改めて気づいた事がありました。溢れんばかりのお花の風景です。思わずその時、もう過ぎた月のものまで振り返って見てしまいました。私は今まで毎日何を見ていたのかなと自分自身を疑いたくなりました。そこには、過去の旅で本当に感動した風景もありました。自分で写真を撮っても、目の前のその美しさをどうしても写すことが出来ないことが残念で仕方なかったなって思い出しました。それはもう書店に並んでいるどんな写真集にも負けないくらいの素晴らしさでした。だから年が終わっても大切にしまってあります。今では、素敵なカレンダーがあれば、どこからもらったんだっけって、つい確認してしまいます。あつかましいですけど、翌年にも期待して。
おっかなびっくり電子マネー
最近、とてもお気に入りの音楽素材サイトがあります。そこで公開されているコンテンツは、ライセンスを買うなり、無料のものをダウンロードするなりすれば、自分で創ったサウンドノベルの中などで鳴らすことが出来ます。
公開されている全ての曲の冒頭のみを試聴することが出来るのですが、その中にとても気になるものを見つけました。ぴったりと波長が合う感じで、長いお付き合いが出来そうなんです。それは有料コーナーにありました。そのサイトでは、独自のポイントを電子マネーで購入し、そうして得た一定のポイントを支払うことでライセンスを得、フルバージョンをダウンロードできるシステムのようでした。
どうしてもフルバージョンを聞きたくて、ついに電子マネーの購入に至りました。実は使ったことがなかったので、わざわざ公式サイトを見に行きました(笑)。コンビニ等で売っているあのカードを買うのが1番手っ取り早くてリスクがなさそうだったので、さっそく買いに走りました。
紙のお金以外を使うのは、何となく不安になりますね。そしてついにフルバージョンを聞くことが出来ました!ちっとも耳疲れしないので、小説を読む際のBGMとしてお世話になっています。
昔使っていた教科書
学生時代に使っていた教科書を捨てようとしたところ、学芸員をしている知人から思い留まるよう説得されました。何でも教科書というものは数十年も経つとそれなりの価値が出るそうで、是非取っておけと。それを聞いた小市民の私はとりあえず物入れにしまって取っておくことにしましたが、そのようなこともあるのですね。少し意外です。
せっかくだったので、しまう前に表紙を除菌用アルコールで拭くことにしました。すると、小説を整理する時にも似た感慨が湧きました。普段は忘れていても、手に取れば蘇る思い出の数々……。人間の記憶というのはけして忘れられることはなく、思い出せないのはただアウトプットに必要なプロセスが多くなっているだけ、という説がありますね。これもそういうことなんでしょうか。
私にとって学校というのはけして楽しいだけの場所ではなかったので、思い出したくないことも思い出してしまいました。もういっそのこと市営のゴミ処理場まで持って行ってひと思いにお別れしてしまおうか、とも思ったのですが、そういう時に限って蘇ってくるのは、楽しかったことなんですよね。今でも付き合いが続いている友人や、所持し続けている小説と出会ったのもこの頃でした。愛憎相半ばす、という気持ちが分かったような気がしました。