この世の果てまで、小説を持って。 私の心をどんな色にも染めてくれる小説。どんな世界でも見せてくれます。

色で違う花言葉

車に乗っているときは、その日の気分でCDを聞くときとラジオを聞くときがあります。CDは自分の好きな曲が聴けます。お気に入りの曲を延々リピートしてるときもあります。そうすれば、ご機嫌で運転できますものね。でも、ラジオのイイところは、自分の意志とは関係なしに色んな曲がかかるところ。もちろん、あんまり好きじゃないものもあります。でも、今まで聴いたことがないアーティストの歌や曲を耳にすることができます。そして、それがきっかけでそのアーティストが好きになることもあるから、発見があるんです。流れてくるお喋りの内容も然りです。「へぇ、そうなんだ」って情報を得ることだってできますしね。そんなラジオなんですけど、先日、エンジンをかけたらパーソナリティの方がガーベラについてお話されていたんです。長持ちさせる秘訣などが話題になっていました。その時に、ガーベラは色によって花言葉が違うとお話されていました。だから、プレゼントするときには花言葉も考えて色選びをして贈れば素敵ですねって。花言葉といえば、以前、知人にプレゼントするときに色々調べました。本も買いましたもの。このところ、その本は全く見てなかったけど、花言葉には由来があって、そこには物語があるんです。久しぶりに誰かにお花をプレゼントしたくなっちゃいました。

言葉って本当は難しい

何気に使っている言葉だけど、実は間違って使っていた、なんてことがたまにあります。本で読んだりテレビで見たりして、「そうだったのか」なんて思うことがあるんです。それこそ、子供のときのことを思い出すと、数えきれないくらいあるから笑えます。今でもよく覚えているのが『手をたたきましょう』という童謡。最後に『ああ、おもしろい』という歌詞があるんだけど、何を思ったのか、私はかなり長い間、『ああおも白い』と理解していたんです。何かわからないけど、『ああおも』というものが『白いんだ』と。他にも童謡の中で驚いたのは、『アルプス一万尺』です。これが『子ヤギの上で』とよく間違われることは知っていたんです。本当は『小槍(こやり)』だって。けど、外国の歌だと思っていたんです。これはごく最近までそうでした。けど、このアルプスって日本アルプスだったんですよね。そして、『小槍』というのは『槍ヶ岳』の山頂付近にある岩のことを指しているんですって。驚きました。
そしたら先日、『もし』と『もしも』を混同して使っている人が多いという記事を見かけたんです。これは、何となく違うような違わないような……といった感じでした。今までは明確な使い分けをしてはいませんでした。でも、その記事によると、『もしも』は『もし』を強調する形で、さらに起こってはいけないことや悪いことを想定するときに使う言葉なんだそうです。そして『万が一』という意味も含まれるんだとか。そういえば『もしもの時には』って言ったら、いい意味ではないですものね。言葉を正しく使うことは実は難しいんです。

時には『待つ』ことの大事さ

人は『攻め』の人と『待ち』の人に分かれると思います。そして、私はといえば『攻め』の人です。仕事でもプライベートでも待つだけで自分が動けない時には、何かできることはないかとイライラしてしまいます。気は短くはないからもちろん待ちますけど、何もしないでジッとしているのが苦痛なんです。でも、自ら攻めて行く方が早く結果に繋がると思っていましたしね。でも、そうじゃないんだって思える記事を先日読んだんです。その記事にはスポーツ選手のスランプを取り上げていて、どれだけ頑張ってみても、結果が出なくて行き詰まりを感じることがあるものだと書いてありました。そんなときには、焦らずに力を蓄えるときだと思うべきなんだそうです。行き詰まりは栄光を勝ち取るための準備期間だと考えればいいんだって。いつも『攻め』の姿勢ばかりでなく、時には『待ち』の姿勢を構えることを学ばなければならないと書かれていました。そして、時間が最良の薬となって、やがて本領を発揮できる時期が訪れると。
それを読んで気づいたんです。今まで攻めることが最善の方法だと思ってきたけど、それは間違いだったんだって。時には、ジッと耐えて待つことも大事なんだとわかったんです。焦りは禁物。自然の法則に任せることも必要なんですね。ちょっと成長できた気がします。

心に響くひとこと

ステキな言葉や文章は本や雑誌の中にしかないわけじゃありません。部屋の中を見渡してみると、あちこちに何かしら見つける事ができます。たとえば、日めくりカレンダーやポエムの額、メッセージカードなどがあります。
週末に訪ねた知人の家にも日めくりカレンダーがあって、そこに書かれていた言葉があまりにも素敵で、思わずメモしたくなりました。ただ、メモるには少々長いので、いつでも見られるようにと写メを撮ったんです。それは『自分にピッタリ合った靴で歩く』というタイトルの文章でした。ピッタリの靴といっても、本当の靴選びの話ではありません。そこに書いてあったのは、どこまでも夢を実現していくことが本当の幸せだということです。興味のあることを追及して、楽しいと思うことを実行していってくださいと書いてありました。それは目上の人にも気兼ねなく、親や先生や上司など他人は踏み込んでくる資格はないんだって。そして、無我夢中になれるものを発見した時に、この世での自分の役割が見えてくるというんです。このことを、一生他人の靴を履いて歩き回るのはツライことだから、自分にぴったり合った靴を見つけてくださいと比喩してありました。そして、その日のカレンダーの文章の中で一番心に残ったのは、『自分が自分を生きて、本当に幸せであれば、周囲の人も幸せにできる』という言葉でした。とっても心が温かくなりました。

エアコン問題

子供の頃、エアコンは寝る前にタイマーをセットして、数時間経ったら消えて、朝に再びつくようにしていました。これは、夏も冬も共通です。もちろん出かけるときにはオフにします。これって当たり前のことだと思っていたのに、最近ではそれだと節電にならないと言われるようです。つけっぱなしの方がいいんだって。これってよく耳にしますけど、私は、もひとつ信じられないんです。丸め込められてるような気がするんです。だって、どう考えても消した方が電気を使わないと思えるんですもの。けど、実際には、消していて次につけた際に一気に冷やしたり暖めたりするのに必要な電気量を考えると、ずっとつけてる方が結果的には節電になるらしいんですよね。
じゃあ、ずっとつけてるとして、今度は何度に設定するのがいいのかなっていう疑問が湧いてきます。先日、私のそんな疑問に答えてくれてるような記事を見かけたんです。ただその記事は節電の観点でのものではありませんでした。実は睡眠時間とその質を考える記事だったんです。そこには年中同じ温度設定では良くないと書かれていました。年中25度前後設定という人が結構多いんだそうです。昼間はまだいいんだけど、問題なのは夜寝るときのことなんですって。特に冬場はその温度だと高すぎるらしいんです。16~19度がベストで、高くても低くても体にとってはあまり良くなくて、質の良い睡眠が期待できないんだって。でも、睡眠のことを考えても、ずっとつけてる方がいいという結論になっていました。うーん。そうですかぁ。

事業をするということ

この前、久しぶりに会った知人と居酒屋さんでお喋りしました。もう何年も会っていなかったからお互いの近況報告から始まりました。とは言っても、彼女が独立をしたと聞いていたから、まずはそのお話です。話を聞いてみたら、かなり苦戦しているようでした。そうですよね、自分で何かを始めるってすごく大変なことだと思います。もちろんお金もかかるでしょうし。彼女いわく、そりゃ、初めから上手くいくとは思ってはいなかったけど、少しずつは成果が出て、それなりにやっていけると思ってたって。でも、実際には考えが甘かったって。自分の思惑通りにはいかなかったんだって。だから、正直精神的にキツイんだって。ひとりでやってるから、どうしても気分が落ち込んでしまうって。だから、久しぶりに話したかったんだと思います。私はそんな彼女の話を聞きながら、以前、読んだ小説のことを思い出していました。小説では、主人公が親から引き継いだ会社の経営が思わぬことから悪い方に悪い方にと転がるように落ちていったんです。その中でもがき苦しみます。なんとか明るい糸口が見つからないかと右往左往するんだけど、難しい状況ばかりでした。でも、信念を持って、これがダメなら他の方法、それがダメなら、また他の方法はないかと懸命に動いていたら、味方をしてくれる人も出て来て好転していったんです。
彼女は今が踏ん張り時なんだと思うんです。でも、大事なのは固定概念を捨てて、未来を見据えることなんじゃないかな。私はどんな時も彼女を応援します。

妖怪と妖精

子供の頃、読んだ本に優しい妖怪が出て来たことをよく覚えています。子供との心のふれあいを描いたお話だったんだけど、当時は本当に存在しているものだと思っていました。まぁ、今でもいないと断言できるわけではないですけどね。もちろん、見たことはないんですけど。でも、その気配のようなものを感じたことがあるんです。幼いころ、二階の部屋に誰か住んでるって思っていて、母に話したら、一瞬で否定されてしまいましたけどね。でも、大昔から妖怪の物語は沢山ありますし、絵画だってあります。だから、いないと考える方が不自然かもって思うんです。そういえば、以前に読んだことがある『座敷童』もそうなんですよね。怖いイメージがあるけど、そうでなくて、実際には一緒に遊びたいと思ってるだけで怖くなんかないんだとか。
海外では、それが妖精にあたるのかな。森の中に住んでると言われているし、花や水を初めとして、家の中でも様々なものに妖精がいるんですよね。昔読んだ童話にも時々登場していましたもの。そうそう、以前、旅先の森林公園の中の樹齢千年と言われている木の周りに妖精の姿が一瞬見えたような気がしたことがあるんです。思わず二度見してしまいました。でも、ほんの一瞬で、はっきりと認識できたわけではないから、もちろん気のせいかもしれませんけど。
でも、物語に出て来るということは、きっとそれなりの理由があると思うんですよね。全くの空想のものが日本にも海外にもあると思いますか? だから、実在するんじゃないのかなって思うんです。世の中には不思議なことってあるものなんです、昔から。

イイもの見つけた!

世の中には、掃除がすごく好きで、まるで趣味のようだっていう人がいますよね。そんな風に思えるなんて本当に羨ましいです。私はハッキリ言ってあんまり好きではないです。でも、散らかっていたり汚かったりすると、なんだかイライラしてきちゃうからキレイにしていたいんです。だから、普段は何かをするときには片づけながらするといった感じで、極力汚くならないようにしています。ただ、私のいけないところは、一見片付いているようなんだけど、押し入れや棚に『とりあえず入れておく』ということが多いことです。だから、そこに色んなものが溜まってしまうんです。そして、そこにしまったことを忘れてしまいます。時々、押し入れや棚を片づけるんだけど、「こんなところにこんなものが……」なんてことが起こるんです。
先日も、久しぶりに本棚を片付けていたら、一番下にある引き出しの中から思わぬ物が出てきたんです。和風柄の可愛い何か……。袋に入ったそれを開けてみたら、『しおり』でした。けど、ただのしおりではありません。薄いマグネットがついていて、パチンとページを挟めるようになってるんです。「イイもの見つけた!」と感激です。けど、なぜそんなところに!? 買ったのかなぁ、それとも誰かのプレゼントなのかなぁ。全く思い出せません。もし、プレゼントだとしたら、失礼なことですよね。いえいえ、そんなはずはありません。きっと買ったんだと思います。とにかく、嬉しい発見は片付けのおかげです。今、読みかけの本のページをパチンと可愛らしく挟んでくれています。

自分の気持ちをコントロール

本屋さんでは、新刊のスペースに自己啓発の本がたくさんあります。ベストセラーになってるものもけっこうあります。それだけ、みんな自分を高めることに興味があるんですね。そう思っていたら、先日、たまたまある貸し会議室に行った時のことです。そこで様々なセミナーが行われていることに驚きました。なんと自分磨きの多いこと。私のイメージではそういったところではIT関係が多いのかなって思っていたけど、そうではないんですね。女性向けのものもけっこうありました。ヒーリング講習やカラーセラピーなどといったものはカウンセリングのようなセミナーなのかもしれません。私がそこに着いたときに、ちょうど終わったセミナーがあって沢山の人が出て来ました。見たら『アンガーマネジメント』って書いてあったんです。私はそんな言葉を聞いたことがなかったので「何それ?」と言った具合です。そしたら、この前、電車で立っていたら目の前の本の広告に目が留まりました。『アンガーマネジメント』って。思わず先日の会議室でのことを思い出しました。その広告を見ると、どうも自分の気持ちをコントロールする方法みたいです。本のキャッチコピーには『もうキレない!』と書いてあったんです。「そうだったのかぁ」キレないってことは、毎日の生活の中ではとても大事なことなんだと思います。受講者が多いのも納得です。

救いを求めるもの

書店に行くと、毎週ベストセラーのランキングが貼ってあります。それを見ると、世の中の人が何を求めているのかがよくわかりますよね。一番の関心事は、やっぱり仕事だという人が多いんですね。そのためのスキルや生き方、考え方などが書かかれた本はいつも何かしら上位に入っています。芥川賞や直木賞、本屋大賞などが発表されたら、もちろん、それがランク入りしています。私の興味はどうしても小説になってしまうから、やっぱり、そこは注目してしまいます。
でも、時折、心に語り掛けるような言葉が書かれた本がベストセラーになっています。人間は心が弱ったときに誰かに助けてほしいんだけど、誰にもそんな話をできない場合が多いものです。そんな時に、たまたま読んだ一節が心の奥深くまで響いて、強くなれたとか、前向きになれた、なんてことがあるものです。私も学生の頃から何度となく本には救われています。小説の主人公がまるで自分を映しているかのように思えて、その中の一節が忘れられなくなったりしたこともあります。
きっと、みんな、本に書かれた言葉を自分に向けられた言葉として受け取ってるんでしょうね。だから、きっと同じ言葉でも人によって全く違った感覚で受け取られてるんだと思います。でも、それで救われていることだけは間違いないです。そして、今日より明日は少し元気になれるって思えるんですよね。